2011年9月11日
暑さ寒さも彼岸まで…この数日の暑さに思わずこの言葉が浮かんだ山中です。
日毎に広がっていった台風12号の被害、今回の災厄で被害にあわれた方へお見舞い
申し上げますと共に亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
本日9月11日はご存知の通り,同時多発テロから10年、東日本大震災から半年が過ぎ
た日でもあります。何の疑いも無く明日があると信じていた日常の中、突然降りかかっ
た不条理。年月の違いはあれど、当事者の方々の心中はいかばかりかと未だ適切な
言葉も見つかりません。
9・11テロの方は10年が過ぎ、未だに御遺体の見つからない方も多い中、傷は癒えない
までも、その不条理を受容し、悲しみの一方で、だからこそ得られたものを探し前向きに
歩き始めた方も多いとききます。(何かを得られたとしても時計の針が元に戻るなら、得
られた全てを投げ出すに違いありませんが)
一方東日本大震災は未だ半年を経過するにすぎず、その不条理は未だ受け入れ難く
安易な励ましや助言は多くの方にとって欲するところではないのでしょう。
二つの不条理を重ね合わせ考える時、一冊の本を思い出しました。
H・S・クシュナー著 「なぜ私だけが苦しむのか?」
“When Bad Things Happen to Good People”(善良な人に悪いことが起こるとき)
既に世界でベストセラーになった本ですが、悲しみに沈む多くの人びとに慰めを与え、
病院やホスピスで働く人たちの間でも読まれ、これからも人間の根源をみつめる書で
もあります。
著者は、最愛の息子が或る日難病におかされ避けがたい死を迎える事に10年の長き
にわたり向き合い、その死の1年半後にようやく不条理を受容し書き記したものです。
その一節にはこうあります。
「悲しみにうちひしがれている人に何と言えばよいかというのは難しい問題
ですが,何を言ってはいけないかというのは少しは簡単なように思います。」
受け入れ難い不条理から10年の月日が流れ受容できた方と、日浅く未だ現実として
受容し難い被災者の方と同様には考えられない。
受容し歩き始めた方へは励ましと助言を、受容し難い方へはその悲しみと思いを例え
わずかでも受け入れる事が必要なのだと改めて思った次第。
同等に語ることさえはばかられますが,理不尽さや不条理に見舞われた人,打ちひしが
れている身近な人とどう接するのか,あらためて考えさせられた節目の一日でした。
「(旧約聖書の)ヨブは助言より同情を必要としていました。それが適切で
正しい助言であったとしても同じ事。助言するにふさわしい時や場所は,もっと後
にやってくるもの。彼が必要としていたものは,苦しみを分かちもってくれる愛情
だったのです。」 ~著者 本文より~